5月3日、9時26分。
ひろ兄ちゃんは雲のない静岡の空に旅立っていきました。
苦しみを抑えるモルヒネを選択。
数分後に心拍数が下がっていったことから察すると、本当にもう、ぎりぎりのところで
気力だけで持ちこたえてきた数日だったのではないかと思います。
長い闘いでした。
半身不随、言語障害のおばあちゃんを何年もずっと、介護。
ベッドのそばで、身体をひたすらマッサージし続けていました。
おばあちゃんが旅立った後、今度はおじいちゃんのケアに人生の大半を費やします。
それを犠牲だとは思わず、
不運だとも言わない。
当たり前の顔で、誰かのための人生を生き続けました。
優しさの象徴。
生き方に、態度に、にんげんとしてたくさんのことを学んできました。
「兄」と呼べる距離にいて出逢えたこと、それを心から感謝しています。
「みんな、適当なことを言うけれど、俺は嘘はつかないよ。状況は全部伝えてあげる」
― 夜中、目を合わせてくれたひろ兄ちゃんに言いました。
病気のことを一生懸命勉強してきた、向学心のある人です。
意識もはっきりしていました。誤魔化しは通じません。
「たのむぞ」
そう答えてくれたこと。
立場を理解してくれたようです。
ほんとに、嬉しかった。
優しい人です。
家族の嘘や、家族の呼びかけに、応じていました。
自分が一番苦しいのに、会いに来てくれたことを申し訳なさそうな表情で伝えたり、
僕たちが食事を食べているかなど、最期までずっと気にしてくれていました。
優しさ、優しさ、優しさ、優しさ。
にんげんの教科書でした。温かい人でした。兄でした、家族でした。
また、家族の形が変わってしまって、寂しいけれど。
影響力のある人でした。
この言葉を嘘にしないために、僕は僕の一生懸命を生きていきたい。
そんなことを、命と向き合いながら思いました。
いま、三島駅前東横イン。
今夜はこちらに宿をとって、明日の通夜と葬儀に備えます。
最後まで「らしく」、強く、そして優しく。
ひろ兄ちゃんを見送ってきてあげたいと思います。
もっぺんだけ。
ひろ兄ちゃん。
出逢ってくれて、本当にありがとう。
温かい人でした。兄でした、家族でした。大好きでした。