長く続いた化学療法の影響で骨髄がかなりのダメージを受けていて、高熱を下げることも
各血液成分の数値を薬や治療で変化させるのは困難であるということが、朝になって
入ってきた情報。
昼過ぎに静岡に到着した母からの話によると、先週の水曜日(まで母は静岡に行っていた)と
比較して、意識や見た目に大きな変化は見られないが、咳があって苦しそうであるとの
ことだった。
こういう時は、ほんとに夜が長く感じられる。
そして、電話が鳴るたびに嫌な想像をしてしまう自分もいて、自己嫌悪に陥る。
便宜上、叔父と書くだけのこと。
僕と弟は、叔父のことを「ひろにーちゃん」と呼ぶ。
そういう家族のこと。
だから、眠れないほど心配になる。
このブログには、これまでも他の家族の闘病や最期のことを書き綴ってきた。
何度経験したとて、誰かの痛みに自分の心が麻痺をすることはない。
いまは、起承転結の、短い短い「転」の時間なのだと、信じていたい。
希望に向かう夜明けのありますように。