食べ過ぎてジョギングを100分、深夜2時前の帰宅。
父との思い出が残る道を走る。
勢い、浮かぶ川柳にも父が染み出してくる。
父を想う詩を書き残そうとすることは、もしかすると夜中のラブレターのような
危うさを持つのかもしれない。飾るつもりは全くない、けれど、読む人によっては、
どうしたって温度差もあるだろう。
万人に受け入れられる想いや言葉はなくても、どんな未来に読み返した時にさえ
その時の自分が納得出来ることばを綴ることが出来ればいいと思っている。
つまりやっぱり。
父が、父が、という表現は、きっとこれからも頻出するであろうことを示唆致したく、
どうかご理解のほどを。
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一期一会、お客様との出会い。
電卓は持って行かない。
耳と目で、しっかりと熱意を感じてくることだけ。
相手が本気じゃないのに、本気になれるわけがない。
相手が本気なのに、本気にならなけりゃ嘘だ。
「点」で終わらせずに、「線」になる力のすべてを。
私たちは、という複数形で実践していきたいと思っている。
お客様の横の席に、僕らはいつも座っていたい。