いろんな方にご連絡いただきました。
ありがとうございます。
メールやコメントに返事できてないのが心苦しいです。
通夜は金曜日の19時、葬儀が土曜日の11時からになりました。
水曜日、18時に集中治療室に入りました。
入って、先生が説明を始めた途端に、先生の背中のモニタの数値が
異常を示し始めました。
延命ではない、これは治療だ。
先生は一生懸命やってくださいました。
でも、父は意識のないままに、とても苦しそうでした。
耳元で、叫び続けました。
病院に響き渡るくらい、叫びました。
でも、届きませんでした。
前日から、足の壊死が始まっていました。
足を切るくらいなら、死にたいと父は言っていました。
切らないままに旅立ったのは、父の意地だったのかもしれません。
苦しみから解放された全身には、いろんな傷跡が残っていました。
治療に耐えて、僕らに、存在するだけで、優しさと勇気を与え
続けてくれました。
一日経って、なんだかまだ、実感がなくて。
父親のことを思い出しては、何度も何度も笑って、お腹を抱えるほど
笑って。
で。
さいごに、「さみしいよ」って、父の横にいて、泣いてしまいます。
明日、明後日。
喪主として、父をしっかり送ってやりたいと思います。
ごめんなさい、でもきっと。
最後には、子供に戻って泣いちゃうんでしょうね。
とうさん、とうさん、ほんまに、ごめんな。
大好きやったよ。
言いたかったな、ちゃんと、笑って、話してるうちに。
すこしずつ取り戻します。
時間、少しの間だけ、ください。