2024年の9月で48歳になった。
日常的に仕事をしていると、年齢の関係だけで敬語を使われることがほとんどだ。二十代の後半から会社をしてきて、経営者たちの中では「おい」だの「ばた」だの「うんこ」だの言われることが多かったのに、いつのまにそんな位置に来てしまったのだろう。
プレイヤーとしての退き際、経営者としてのこれから、など、いろいろなことを考える。お客さんに提案するときもそう。
「発信はこつこつですよ、やがて実を結びますから」
でも思う。その〈やがて〉はいつなんだろう。自分がその瞬間を見届けることはできるんだろうか。あるいは、お客さん自身がプレイヤーとして現役である間に結実は間に合うんだろうか。
僕はきみを必ず幸せにする。
そんなセリフの類と同じで、この「やがて」はとてもテキトーな提案をしているのではないかと考えるようになってしまった。加齢だ。「これから」を積み上げるより、「のこり」を考えるようになると、そんな窮屈な意識に囚われるようになってしまう。
だから思うよ。発信も、ポイ活も。
間に合う。
間に合わせる。
ね。だからすぐやろ。一緒にやろ。がんばろ。
効率の良い方法を考えるよ。一緒にやるよ。取り組むよ。
お尻を叩くよ。
そして、やがて結実したものを目の前に積み上げて、〈これまで〉を振り返ろうよ。だいじょうぶ。間に合わせるから。間に合わせてみせるから。
「そういえば、そんな時期もありましたよねぇ」なんて、いまこの瞬間の怠惰だった時間を振り返らない? お茶でも飲みながら。
間に合うか、間に合わないか。わからないよ。
そういう年齢にはなってきている。
でも、間に合わせようと決める心に遅いってことはないんだ。
それはここから。いつもここから。
そんな景色を共有したい。
間に合わせない? 理屈はとりあえず、横に置いてしまってさ。
ポイ活を始めたい人、継続したい人。
発信を始めたい人、継続したい人。
継続するモチベーションになる方法も含めて、提案するよ。
一緒にやらない? 伝えることを、伝わることを。