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死にたいと言った父の気持ちと、生きていけるという自負と

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とにかくずっと体調が良くなくて、そういえば、父も同じような病状で苦しんでいたことを思い出す。

当時の父の年齢と今の自分の年齢を重ねると符合することが多く、良くも悪くも血は争えないのだろうと思う。父の享年は61歳。晩年は人工透析に通っていたので、商売人として店に立つことができたのは50歳過ぎくらいまでだっただろうか。

人生を悲観して行方をくらませたこともある。死に場所を求めたが、死にきれなかったらしい。一晩中、兵庫県のあちこちを車で探し回り、朝になってようやく四国から連絡を寄越した父を迎えに行ったのだった。そんな極端な考え方をするつもりはないが、痛苦から逃れたいと思う父の気持ちは如何ほどだったか、今ならすこしだけ、分かるような気がする。

痛みは夜になると強く、それに寒さや低気圧が重なると悲鳴を上げてしまうくらいになる。面白いのは、人と会っているときはそれほど痛みを感じないということだ。アドレナリンがそうさせるのか、心と身体は密接な関係にあるのだと痛感することが増えた。

交感神経が優位になりすぎても眠ることができない。いまは音楽や詩、文章、写真といった表現のことを考えているときに、気がつけば眠りに落ちているということがある。「普段」を知る人からは、ギャップについてあれこれ言われることも多いが、本来は「あっち」なのだろうと思っている。そういう自負がある限り、悲観的な考えに支配されることもないだろう。

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