ひとから言われて、どうやら自分は匂いに敏感であるのだと自覚するようになった。
誰かの匂いはまだ許せるのである。ところが、自分の臭いはどうしても我慢ができない。仕事の途中に、わざわざ家に戻ってシャワーを浴びなおしたりするくらいだ。それでも効果は一瞬である。ボディーソープは、おはようからおやすみまで、僕を包み続けてはくれないのだ。ときどき、自分はウンコなのではないかと思うことがある。
「ほら、ダンベルで筋トレをすると、20秒くらいで腐臭が漂い始めるじゃないですか。全身から。あの感じですよ」と言ったらドン引きされた。そうか、普通は腐臭はしないのか、そうか。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人・コトバノ (@bata) 2018年6月20日
お客様には専門用語を使わず、わかりやすい言葉で説明することを心掛けている。
僕はいつものように、プレゼンがうまく進むと会場の雰囲気が熱気を帯びていくことについて、ダンベルを用いておこなう筋トレでたとえ話を始めた。ダンベルを持ち上げていると、全身から腐臭が漂い始める。太陽が東から昇って西へと沈んでいく。どちらも、人類にとって不変の真理だ。ところが、それを聞いているUさんの反応が良くない。最近飲み会が続いているUさんのことだ。もしかすると体調が悪いのかもしれない。こういうときは優しい言葉を選ぶこと。それくらいは僕だってわかっている。「大丈夫ですか、お疲れですよね?」
「わからない」
「え?」
Uさんは僕に、真面目な顔をしてそう答えた。わからないとは、なにがわからないのだろう。もしかすると、体調を崩しているということさえも理解できていないのだろうか。だとすれば重症だ。
「ダンベルをしていても、臭いなんてしない」
「ええ? そっちが? なぜ?」
「それは普通じゃない」
「普通じゃなくて、腐臭です」
「いやだから」
僕たちの会話はどこまでも平行線を辿った。当然だ。僕は腐臭のする人、Uさんは腐臭のしない人。僕は腐臭を当たり前だと思っていた人、Uさんは漂う腐臭を経験したことのない人。41歳になるまで僕は、ダンベルトレーニングによって腐臭をしない人がいるということを想像もしたことがなかった。さっきまではとても素敵な人だったはずのUさんが、今の僕には宇宙人に見える。カルチャーショックは、僕の日常を異次元のものへとゆがめてしまうのである。「ワレワレハウチュウジンダ」。どうしよう、僕が次に発する一言によって、宇宙戦争が勃発してしまうかもしれない。ようやく朝鮮半島の問題も改善の兆しが見え始めたというのに。なんということだ、なんということでしょう、なんということだ、どうしましょう。
「えっと…」
「うん」
「におってみますか?」
「え?」
嗚呼。ちがった。どうやらこの提案は違ったようである。ここはUさんの事務所。都合よくダンベルが置いてあるわけがない。
「いや、ダンベルがあれば、においを体感していただこうかな、と。ないですよね?」
「ちがう」
「え?」
「そうじゃない」
「え?」
「わからない」
「え?」
「どうしてそうなのか」
「え? え?」
僕とUさんの間には、永遠に渡ることのできない宇宙の溝があるようだ。
におい、ただよう人、ただよわない人。
同じ星に生きて、この。