Instagramで写真をアップするようになってから、撮影の仕事を頼まれることが増えた。
もちろん僕は、どこかで撮影の勉強をしたわけではないし、撮影の仕事をするとアピールしたこともない。ただなんとなく「プロに頼むと高いから、撮影の好きそうな西端に手頃な値段でやってもらえたらいいんじゃないか」という層に便利に活用してもらっているのだと思う。何事もアウトプットをしてみることである。明確な基準で仕事を頼む人もいれば、なんとなくで決める人だっている。
この「なんとなく」の人たちは、中小零細企業にはたくさんいるような気がして、その人たちにどんな旗を振ったら気付いてもらえるのか、いつもそんなことを妄想ばかりしている。一方で、売り込まれることを人は嫌うから、僕は絶対に売り込むことはしない。向こうに気付いてもらって、向こうから声をかけてもらう。それが僕のスタンス。売るのではなく、選ばれるようになる。押し売りは、僕も相手もしんどい。
「やはり情報発信ですね」と、まとめられてしまうことも多いが、単にブログを書き、単にSNSに参加するだけで、それが発信になるとは思わない。情報発信とは、相手の価値に変換できて、はじめて意味を成すのだと考えている。では、この「なんとなく」の人たちの価値とは何か。それは必要に迫られたときに声をかけやすいポジションにいることなのではないか。僕はそう考えている。だから普段から、撮影もライティングもやりますよ、という意味で、自分の日常を醸し出すようにしているのだ。「なんとなく」の人たちは、僕がどんなカメラを使っているか、どんな勉強をしてきたか、など気にすることはない。なんかこういう仕事、得意っぽいよねと判断するのが「なんとなく」層なのである。
僕は「なんとなく教」の人たちに必要とされれば、それで食っていくことができる。細かい違いよりも、全体的な雰囲気を大切にする。こうするべきだ、これが正論というのではなく、僕はこれを自分の生き方としてやっていくことにしている。それも生き方である、そして、これも生き方なのである。なんとなく、万歳。