いい会社っていうのがどういうものなのか、経営者になって十年以上になるけれど、いまだによく分からない。でも、いい仲間っていうのは分かる。一番悲しいのは「仲間ならこうだろ?」という定義をしないといけない時だ。ルールでそうなるんじゃない、きっと雰囲気。本来は、言葉の及ぶことじゃない。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2017年9月25日
「うちの社員」という言い方は、できるだけしないことにしている。僕は彼らのことを「メンバー」と呼ぶ。自分が「上」という奢りは持ちたくないからだ。
社員教育という言葉にも違和感がある。「教えて育てる」というのは、なるほど、確かに必要なことなのかもしれないが、自分はさて「何を教える」ことのできる人間なのだろうと考えてしまう。だから僕は【教えることよりも気付かせる】ことに主眼を置く。同じ高さにいて何かを示唆できる人間のほうが、自分には器が大きいように思える。自分が見るように思うように、自分のことを見られ思われるようにありたい。いろんな経営者の話を聞いてきたけれど、大切なことは、「自分が従業員ならこの人と働きたいと思った経営者」に近づく努力をすることなのかな、と思っている。