少しだけやってみて「もう分かった」という気になってその場を去っていくのではなく、「まだ分からないから」と試行錯誤を継続する。この「もう」と「まだ」の差は大きい。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人・コトバノ (@bata) 2017年8月1日
「もうそろそろ買い時だと思ったら、まだ下落した」とか「まだ株価は上昇するだろうと思っていたら、もうてっぺんだった」とか、そういう使い方で、投資の世界では「もうはまだ、まだはもう」という鉄則がある。
ところでこれは、実社会においても同じなのではないかと思うことがある。もう十分にやってきた、もう理解したと思っている人ほど、実はまだまだ青いところにいて、周囲が認めるくらいにやっている当人ほど「まだ不十分だ」と思って、試行錯誤を繰り返す。結果、試行錯誤には人がついてくるようになる。情報が集まるようになる。よりクオリティの高いものを持ち合わせるようになったその人は、自然とレベルの高い世界にいくという次第である。
40歳になって、自分も「もう十分に経験してきた」と思ってしまうことがある。「もう十分に苦労した」という、嫌な大人がよく口にするアレである。あれほど忌み嫌っていた台詞を、気持ちのよさそうな顔をして唱えている今の自分を、当時の僕はどれくらい予測しただろう。「もう」という青いところにいて、ふんぞり返っている。なんだか、なんだか、なんだかな、なのである。
「もう」という言葉が出てきそうになったら、「まだ」と置き換える。シンプルにルールを決める。そうでなければ僕は、これからますます、傲慢になってしまうのではないかと思う。謙虚を徹底した先の世界で、生きていきたい。そんな決意をする。僕は「まだまだ」の場所にいて、これからを生きてゆく。