会いたい、合いたい、見たい、触れたいと、触感が対象を求めたがるのは、その人や場所から得られるエネルギーを自分のなかに取り込みたいと思うからなのかな。多分それは、高原の湧き水に似ている。身体の中を抜けていき、細胞の一部になってゆく。自分が浄化されたような感覚を他者に求めるのだろう。
そういう感覚の意味を理解できるようになったから、僕は誰かの五感の欲求を肯定する。素直に声に出して欲求を訴えられる人は素敵だな、とも思う。己のエネルギーに転換できることは、どん欲に求めていけばいい。
40歳を過ぎた。2015年の日本人の平均寿命は男性が80.79歳らしいので、僕はいま、ちょうど真ん中のあたりにいる。もっとも、父は61歳で亡くなっているし、元気に過ごせる時間を考えればもう、とっくに折り返しは過ぎたのだろう。未来を老後と言い換える機会も増えてきてしまった。
欲求は、ちゃんと、まえへ。
最近はそんなことを強く思うようになった。自分の年齢を意識するたびに、特に。