スケールの大きな僕という人間に対する、挑戦なんだろうと思う。 pic.twitter.com/BPvbtyIGhW
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2017年3月22日
作曲が趣味で「曲が先なのか詞が先なのか」と聞かれることがある。色々な作り方はあるのだけれど、音と言葉が同時に浮かんだようなものは、自分でも納得できることが多い。Instagramにアップしているフォト短歌も、撮影と同時に言葉が降りてくることがある。この感触は、投手がストレートで三振を取ったときのそれに似ているのではないかと思う。時折出逢える感動。だから、僕は表現したいと思う気持ちを止めることができない。
ファミレスのトイレで撮影したこの一枚は、用を足しながら、言葉が同時に浮かんだものだ。嬉しくて可笑しくて、ピントのずれないようにiPhoneを構えるのが大変だった。
いわゆる短詩文芸(短歌や川柳、俳句)を感じ入っていただくのも嬉しいが、こういう馬鹿な日常に触れていただくことも幸せなのである。僕は僕以上になれない。等身大のまま、トイレの個室にいても、表現者であり続けたい。