蒔くだけではなく、育てる。
その意図を持って動かなければ、べつの風にさらわれて、遠い景色になってしまう。
花は咲いて、咲かせてこそ。
吉報。春の報せだ。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2017年1月11日
蒔いた種に水が行き届いているかどうか、光があたっているかどうか。
それが具体的な「計画」なのではないかと思う。「ご縁」という言葉は、響きは良いが、再現性が期待できない。だから僕は使わない。こんな風にすれば、次はこうなるだろう。仮説をつくって、自分の決めた通りに取り組む。果たされれば、それが「経験」という価値になる。仮説を立てるというのは実に重要なことだ。
咲いてこそ花であって、種を蒔くだけでは自己満足。目の前に咲いた花を、来年も咲かせてこそのプロフェッショナル。仮説、イメージ、計画。甘くて綺麗な言葉の響きに自己陶酔していないかどうか、ちゃんと戒めていきたい。