つい昨日まで、当たり前のように思っていたことが、思い出や歴史、文化になっていくのを目撃することが、生きているということであって、悲しみであるということで。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2016年12月16日
大阪名物の訃報。
土曜日の放課後はご褒美のような高揚があって大好きだった。その大好きな景色のなかに、関西のコテコテがあって、僕たちのDNAは形成されている。当たり前の螺旋が、もう、歴史になってしまったということが寂しい。生きているということは、通り過ぎていく時間が過去になっていくことを目撃するということなんだな。