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「ポエム化」という言葉を使われることで、傷つく世界の人たちに

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詩を詠う人間としては「ポエム化」という言葉を快く受け止めることができない。

たとえばスポーツ、たとえば音楽。人それぞれに趣味やライフワークと呼ばれるものがあって、自分の愛する世界の言葉が、誰か何かの批判や揶揄のために用いられるとしたら良い気はしないだろう? 詩人たちの多くは内向的で、運命のようにそれを受け入れている。そういうとき、僕は、詩(あちら)の世界と、こちらの世界とをつなぐ架け橋のような役割を担いたいなぁと強く思う。

詩歌はよく、その表現が「分かる」か「分からない」かについて議論される。分かるものではなく、読み手が自由に「感じる」ものなので、分かる必要があるとは自分も思わないのだが、「分かってもらわないでいいと思っている世界の人たち」が「分かろうとする世界の人たち」に距離を置いていては、いつまでも詩は、あちらとこちらで対立を繰り返してしまう。

願わくは、自分は、「できるだけ分かってもらえそうなものを表現する」立場を意識して、この距離感をなくしていくようにしたいのだが、散文詩や短歌、川柳を綴るブログにて、その意図をすこしでも感じてもらえると嬉しい。

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