昨日コトバノに書いたのが尻をまくるの読み方と誤用に注意! ~お尻を出して逃げ出すイメージがありますが!?という記事。
尻をまくるの読み方と誤用に注意! ~お尻を出して逃げ出すイメージがありますが!? | コトバノ記事をアップして半日、「尻をまくる」で検索をすると一ページ目の8位で表示されるようになっている(念のため書き添えておくと、これはchromeのシークレットモードでの検索結果によるもの)。「尻をまくる」でカウントされる記事の数は約 1,170,000 件。その8番目に初日から表示されるのは我ながら大したものだと思う。
これがどれだけすごいことか、ということを説明するのも仕事の一つなのかもしれないが、これからは少しずつ、「その価値を最初から理解してくださる方」だけを対象にしたコンサルやブランディングの仕事をお受けしていこうかと考えている。「あの人に教えてもらったけれど、そんな風にならない。だからあの人のせいだ」という他責にされるのではなく「あの人が結果を出していることなのだから、自分だって何がなんでも同じようになってみせる。吸収してみせる」という自責で取り組める方。一過性のものではなく、継続する本気の覚悟を持って取り組める人にだけ自分も全力で付き合っていく姿勢。そのために、もう、自分から価値を分かりやすいカタチにして表現することは控え、最初からそれに気付いた人だけを意識して旗を振っていこうかと考えている。広く多くの方に、から、価値を理解してくださる方だけに、という風に対象をシフト。対象を意識的に変えていくというのは、自分にとっても挑戦である。
こう考えるようになったきっかけはいくつかある。ひとつは、続く体調不良。今までと同じように体力勝負で臨んでいくことからは卒業していきたい。去年からずっと、うちの会社では「労働単価を上げて、仕事を楽にしていく。生活を楽しくする」ということをテーマにしている。まったく達成されていないが、それはメンバーたちの自責であって、これ以上自分がどうこうすることではない。
もうひとつは、量ではなく、質で必要とされる自分を目指したいということ。たくさんのお客さんに愛される自分を目指すのも方法だが、限られたお客さんと、もっとじっくり膝を突き合わせて結果にこだわっていきたくなってきた。元々自分はそういうタイプだったはずなのに、いつか月末の数字に怯えるようになってから、そのバランスに偏りが出てきている。だから初心に戻る。
さらにもうひとつ。自分が一番強く意識していたい立場は「表現者である」ということ。何かを継続して表現する姿勢に、共感が生まれ、お客さんや支持者が集まってくる。そういう循環をつくりだしたい。媚びは売らずに共感を呼ぶ。そのための表現を大切にしていく。
「書く」とか「伝える」とか「ブランディングをする」なんてことは、特別な資格を必要とせず、誰にだって出来ることだ。教科書に書いてあるようなことをなぞって伝えたところで「だからどうした」と言われてしまう。自分は結果を出し続けなければならない。結果を出したことにだけ、説得力は伴う。自分はそれを信念とする。
継続は価値になる。価値に共感してくださる人とだけ、祝杯をあげていく。そんな生き方に強く憧れる。