「頑張る」という言葉が好きでないのは、何をいつまでにやるのかが不明確だからだ。「刺激」「学び」「気付き」という言葉とも似ている。刺激を受けたから、どうなのか。学んだから、何をやるのか。気付いたから、何をどう変えるのか。
「本気でやる」という言葉を使ったということは、今までが本気でなかったということだ。ならば、今までの何かを捨てなければ、これまで以上の成果を出せるわけがない。今までと同じように遊んでいて、今までと同じように休んでいて、「本気でやる」と言われたところで、周囲の人も困惑するだろう。本気は周囲に伝染しなければいけない。周囲の人を巻き込んでいかなければならない。僕はそんな風に思っている。本気でやるといった以上、僕は何を捨てたのか。何から卒業するのか。あれもこれも、では通らない。「これ」と決めることが本気だ。
新しい期。
決算まで来て、今年も生き残ることができたんだなぁとホッとする。すぐにまた、次の波たちはやってきて呼吸を浅くするのだけれど。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2016年6月30日
とりあえず今年も生き残ることができた。来年のいま、どうなっているかは分からない。甘い会社ですね、と皆から言われて笑われる現状から卒業できなければ、「一年前はあんなことを書いていたのにね」ということにもなってしまう。
今年はうちのメンバーにも「伝」の使命感を本気で体感させたいと思っている。そして、その使命に取り組んだ先にある感動を皆で共有できるチームにしていきたい。もちろん、そうやって得られる糧を還元していく仕組みも積極的に採用して、悪循環から好循環へ転機の一年にしていく。
伝わる喜びを想像して、伝えるチカラを創造する。これが僕たちの経営理念。【伝】という言葉に集約されるすべてのインプットとアウトプットに全力で取り組む。本気で動く。