吐きかけられてもいない唾を「かけられた」と言えば、相手を攻撃できてしまう世の中。「かけられたんだね」と被害者を信じるのか、「あの人がそんなことをするわけがない」と相手を信じるのか。踏み絵のような毎日を潜り抜けて生きている。
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年度末まで様子を見ていた幾つかは諦めることにした。
何も知らない外の人たちから見て自分たちがどのような評価を受けるのか。それは商売をしていくうえでの事実である。自分たちの実際はどうであれ、見られ方や印象を想像できない人間に広告や販促、ブランディングの仕事をしていくことはできない。方向性であるとか、仲間であるとか、「僕たち」という複数形の持つ意味と色合いをただただ大切にしてきたけれど、タイムオーバー。世の中はそんなに甘くない。ずっと求め続けてきた想像力とコミュニケーション、発信のチカラは、僕の基本であって、それを「僕たちの基本」と心から共感して行動してくれる者だけを仲間と呼んでいきたい。仕事と作業は違う。
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自分の信じたいものを信じるし、信じてくれる人のことを大切にする。行動をともにした人間にだけ共感は生まれる。ここ数年の経験で得たその感覚、温度。ひとに委ねるのではなく、自分が先頭に立って、新しい環境で創生してみたいと思う。
新しい人たちへ打診。新しい取り組みの始動。もうとっくに動き出している。動いていく。