糸が張るのを待つ釣り人の横で、風に逆らわない鳥たちの動きを眺めて過ごした。やがてレンズに収まる場所にやってきて、そうとは知らず、そうとは知らないのに、風の主役になって凛とした表情を見せる。威風堂々。僕はきみを待ったけれど、きみは僕になぞ目をくれることはなかった。
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ブレてはいけないという、一方で、柔軟に対応することこそ王道であるという人もいる。凛として生きるものと、頑固に変えないものとの違いは何であろうか。多弁は雄弁を知らず。言葉は心を越えない。背に雰囲気が伴えば良いのだろうが、言葉が流れを引き寄せるということもある。相反する二つの概念に、それぞれ理想とするような人物が浮かんでは僕を惑わせる。この迷いは、ブレか、柔軟か。
朝の寒さが丸みを帯びて、春は春は春はいよいよ。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2016年3月20日
空気に薄紅が溶け始めた。色々なことを考えては、ただ、動くことだけを思う。春はいよいよ。