時々中小企業家同友会で「県の行事と支部の行事があったら、こっちが優先」うんたらかんたらという話があって、ルールや役割としてはもちろんそうなんだろうけれど、そもそもの最初の目的が「自社を良くする」ということなんだから、「どっちに行くか」は主観でいいじゃないかコンチクショーと思ってムスっとしてしまうことがある。するとあとから必ず誰かが「わかるよ、気持ちはわかるんだけどね、にしばたくん」と電話してきてくれるから、自分は子どもだなぁと思う(今年40歳)。
組織に従属して働くことが嫌だったから独立したかったのだろう。でも、実際にこうして組織の中で役割をこなしてみると「あぁ、組織をやっていくにはこれが必要な考え方なんだ」ということにもたくさん気付かされる。同じことを自社でやろうとするとそれがうまくいかなくてイライラしてしまい、また結局「そんなもん、理想論ばっかりで実態を無視しているじゃないかー」と振り出しのあたりに戻ってしまうのだけど。いつもぐるぐる。
中小企業家同友会のこと。僕はそれを楽しそうにやっているとよく言われるけれど、あれはあくまでも自分の会社を良くするためにしているわけで、「同友会のための同友会活動」には激しく嫌悪感を抱く。3日に1回くらいは「やめたいなぁ」という衝動にかられる。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2016, 2月 20
例会ごとの動員やら会員の拡大やらは大嫌いで、そういうことをしないでも、人が来たくなる、会員の増える組織にしていきましょうよ。会社でいえば自社商品が売れ残ってるから親戚に売り歩いてこいオイコラと一緒のノリじゃないんですかコレ。なんて提言もしてみるけれど、大きくなった組織の前ではそれは負け犬の遠吠え。「言ってることはその通りだ。だからね、まずはひとつひとつ。役をこなしながら、いずれそうやって改革していけばいい」。
いろんなことを考えていて、いろんなストレスがあって、その八つ当たりは、誰か個人にするより誰であるのかが見えにくい組織にぶつけちゃった方がいいんだろうって。結局は自分の弱さを認めてるってことはよくわかってる。ただ、同じようなモヤモヤが最初のころからずっとあって、「いずれそうやって」を先延ばしにして、自分にはいくつの足踏みがあるのだろうと考えこんでしまうことがある。
父親が亡くなったとき、愛犬たちを失ったとき、大切な人たちすべてともう逢えなくなってしまったとき、都度、時間は有限であることを思い知らされ、時間の価値を高めていこうと心に誓ったはずなのに、いまの自分は、その誓いからはうんと遠いところにいるような気がする。足踏みどころじゃない。時は流れていくもの。だとすれば僕は相対的に、後退の毎日を送ってる。あの涙や絶叫はいったい何だったのだろう。
10歳のときの一年は1/10。40歳のときの一年は1/40。薄く短く感じられるのは当然のものであって、放課後を走り回った頃と同じだけの濃度ある時間を過ごそうと思えば、いま、ぼくは、あのころの4倍、野球をして、虫を捕まえにいって、駄菓子屋に行って、ゲームをしなければならない。
実録!須磨浦山上遊園のカーレーターでプリンを食べる荒行に挑戦、その撮影と編集のドキュメント | 神戸の印刷、出版と販促。前川企画印刷公式ブログ「嵐のマエブロ」2015年度は同友会で広報委員会を担当した。毎月発行している冊子も真面目な記事が多かったので、「この企画が通らなければ同友会をやめます」という決意で、思いっきり遊んでみた。地元の観光名所を紹介するコーナーで、須磨のカーレーターでプリンを食べられるかどうか挑戦して動画で公開。これは評判がすこぶる良くて、その後、県の広報委員会の雰囲気をほんの少しは変えられるきっかけになったのではないかと思っている。
2016年からは県の広報委員会の副委員長を担うことになっている。大役。でも、自分は自分。誰を意識するかというと、同友会という組織ではなく、同友会という組織を構成しているひとりひとりの視点。それが僕のお客さん。組織に媚びへつらうのではなく、組織に常に疑問を持ち続けることで、新しいことに挑戦していきたい。大丈夫、いつだってやめるつもりで臨んでる。