商売っていうのは、生かされているということを知ることだ。与えて、与えて、与えて、そして見返りを求めない。気が付けばいつの間にか利益がついてくるような姿勢を貫くこと、徹底すること。商売とビジネスは違う。生きている誰かの、生きようと一生懸命になっている誰かの家族を傷つけるような言動があってはならない。
「断捨離」とか「健康に良くないもの」とか。
それを選ぶ人の自由は妨げられないけれど、商売を営む自分は、まず、それを生業として生きる人、養われる家族を想像する。だから安易に「良い悪い」という線引きは出来ないな。人間である前提に商人であることを思う。僕はそう在りたい。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2016, 1月 2
商売に勝ち負けを持ち込んではならない。いかにして共存共栄、地域の繁栄、お金の循環を想像することができるかどうか。相手に与えて己にも何かがついてくる。それくらいの塩梅で過ごしていかなければ、いずれ誰かに刃を向けられてしまうことになる。甘いもんではないのが商売、かといって、自分さえ良ければいいというものでもないのが商売だ。
外食は身体に良くないと言い聞かされた子どもの心はどんな風になるのだろう | 川柳をこよなく愛する明石のタコお前のお父さんお母さんは、身体に悪いものを作ってるって聞いたぞ | 川柳をこよなく愛する明石のタコ
想像力を大切にしたいと思う。何気なく使う言葉が違和感を与えることのないよう、お客さんのお客さん、周囲にいる人のご家族やお子さんを想像して僕は生きる。2016年、自分の立場がどうあれ、表現に生きて商売に生きることは変わらない。商売人の矜持を大切にして、今年もブレないように過ごしていきたいと思う。