同じコピーライターである益岡茱萸(ますおかぐみ)さんの汽水(句集)を発注。
益岡茱萸さんは、コピーライターとして言葉を武器として広告業界を生き抜いてきた方だ。コピーは俳句とはちがう。どんなにすぐれたコピーであってもそれは営業戦略のひとつの武器としての言葉であり商品へかしづくものである。しかし俳句はちがう。わたしは益岡茱萸さんの俳句を読んでいて、資本主義の厳しい現実に生きる人間が俳句という定型に武装解除をしてゆったりとくつろいでいる心持ちを感じるのだ。季語に心をあずけニュートラルになった自身を存分にくつろがせているような、だから本心がふっと見える。強気に仕事の現場で頑張って、俳句でふっと弱さを見せる。しかし、益岡さんには言葉をもちいて戦う社会があり、そことの緊張関係はつねにある。俳句とコピーのことば、その二つを生きている、だから「汽水」なんだろうとも。
出版元であるふらんす堂の紹介文を読んでいて心惹かれた。
白魚の汽水を恋うて囚はるる
青簾下ろしてしんと昼の底
おでん煮る空間にあるまろきもの
奈良までは夏服ふたつ傘ひとつ
さみしさを飼ひならしつつ暖かし
コンソメの底でゆれてるはるひかり
いぬふぐり肩の力を抜けばいい
雪だるま子どもは知らぬ夜の顔
スカーフを結びほどいて秋さみし
初雪や繋ぎたき手のそこに在る
ブログ内で紹介されている句を眺めているだけでもうっとりとする。わかる句わからない句というのはよく議論になるところだが、短詩文芸のことを知らない人にそのまま紹介しても「なんとなくわかる気がする」と言ってもらえるような句を僕は好む。益岡茱萸さんの表現は、境界の手前あたりに在るように思われて共感できるものが多い。
拙作である川柳や短歌をまとめたブログを公開して久しいが、その感想を送ってきたくださったり、twitterのリツイートやFaceBookのシェアで応援してくださる人も増えてきた。一番嬉しいのは「自分も創作を始めてみたくなった」というメッセージをもらえるときだ。