1889年に建造されて以来、一度も灯りを落とすことのなかったパリのエッフェル塔が、2015.11.13フランス同時テロで亡くなった方を悼んで消灯されているらしい。
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許せないことを許せないと言って済ませるのではなく、何がどうあれば、こんな悲惨な事件は起きなかったのかと考えた。自分にも、原因を引き起こすような種があるのではないかと想像して過ごした。皆が皆、それぞれの正義を生きていて、道徳や倫理という「それっぽいルール」はあっても「それ」という絶対ではないものの上に立っている。どうしても生じる相違。「おまえは間違っている」や「許せない」という主張が通る世の中であれば、この世界からはもう、とっくに武器は消えてなくなっている。
奪われた命の無念を想いながら、解決を見ない憎しみの連鎖を思う。この国は、キラキラとした赤や緑に覆われようとしているのにね。