昔、とある人を想って「祈ってますからね」と伝えたところ、「自分には特定の信仰がありますので、それ以外への祈りはやめてほしい」と返事をされてしまったことがある。以来、どうにもこの「祈る」という言葉を使うことに上滑りのような不安を感じてしまうようになった。それでもやっぱり、誰か何かの元気や無事、成功のことは強く強く「念じて」いる。関わる人の涙はいつも嬉し泣きのそれであってほしい。
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不満ではなく、愚痴でもない。和ませてくれる言葉を選る人の想像力を見習いたい。僕には優しさが足りなくて、優しさに満ちた人だけの見ることが出来る光景に出合えないのだと気付かされる。妬んで、羨んで生きてばかりいると、見えるものが見えなくなってしまう。「ここにこんなものがありますよ」と笑って伝えてくれる人のことを心から尊敬する。
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選ぶとは選ばないこと。
川柳コンテストの審査員、選ぶとは選ばないこと。何十回と繰り返し眺めて、リアリティのある物語に登場人物の心情が想像できるものを残していく。選んであげられなかった句を思うたび、吐きそうになってしまう。楽しくも辛い作業だな。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2015, 10月 22
今年もまた、明石海苔の鍵庄さん川柳コンテストの審査員を務めさせていただいた。何度も読み返し、たくさんの句の行間から伝わってくる物語を想像する作業は対話そのもの。「選ばない」ことを繰り返していくと、身体がみるみる疲弊していく。今回もたくさんの感動に出逢えたことを、心から感謝したい。