夕暮れにヒグラシの気配を感じて調べてみたが、お盆と終戦の日が重なったのは偶然らしい。こんなにも物悲しい景色が全て同じ日にあるというのも不思議なことだ。
セミは動物としての本能だけで夏の終わりを感じているのだろうか、感情もあるのだろうか、空気と雲の変化になにか思うのだろうか。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2015, 8月 15
8月14日が御前会議にてポツダム受諾の日、9月2日がミズリー号艦上にて無条件降伏にサインをした日。
これらの日を終戦として考える向きもないわけではないが、天皇陛下の御決断が国民に向けられた15日を終戦記念日として考えることが一般的。この日を境に秋めくような気がするのはどうしてだろう。
父帰る隣り帰らぬ父があり / 春雨
思ひきり笑ひ汁粉の話する / 岸本水府
神戸新聞正平調で紹介されていた終戦を詠んだ川柳。終わりという始まりには、悲しみと不安と希望とが入り混じる。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2015, 8月 15
戦争をしたくないと思うのは誰も同じ。
その前提に立ってちゃんと議論のできることが民主主義で、前提を忘れた罵り合いこそが争いの芽なのであるということを忘れてはいけない。戦前の風を吹かすものは、政治家ではなく、ひとりひとりの心の中にある。