飲み会が好きそうだと言われるが、その場にいない誰かのことを肴にして飲むのは得意ではない。自分の愚痴をこぼして相手に聞いてもらうのも申し訳ない気がするし、アドバイスが返ってくれば、それはそれでプレッシャーを感じてしまう。
愚痴は陰口になりがちだから好きではない、ましてや、こぼした愚痴にアドバイスが返ってきてしまえば「それに従わなければ」という重圧に支配されてしまう。相手を変えられずとも自分の心は変えられるのだから、水の音のする場所、好きな本を日よけにしてひと時を過ごすのがいいな。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2015, 8月 2
気難しい性格であることは自覚している。その気難しさを理解したうえで「飲みに行きませんか」と誘ってくださる人がいるというのは有り難い。
仕事や利害に関係なく語り合える人が僕にはどれだけいるのだろうと思うことがある。経営者だから仕方がないと割り切っていた部分もあるとはいえ、失われた時間はあまりに大きいのでないか。時々、羨ましいような眩しいような光景に、息が詰まりそうになる瞬間がある。なんのしがらみもなければ、僕は何を選んで、何を選ばないのだろうね。