お腹を空かせている人がいたとしましょう。
僕はその人のために、友だちの寿司職人を呼ぶのです。「お腹が空いて困っているんだ。何か握ってあげてよ」
そうしてお腹が満ちたときに、僕は言います。「じゃ、支払いはちゃんとしておくんだよ」
空白だった彼は言うでしょう。「え、そんなお金払えないよ?」
寿司職人の友人は困りますよね。「僕はこれで生きているのだから、お金がもらえないと困るよ」
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時々、何が親切で、責任と無責任の境はどこにあるのだろうと思うことがあります。目に見える商品だけが対価の対象ではない。サービスや技術という目には見えない時間に対して敬意を抱くというのはとても大切なことだとわかっているのですが、僕はただ、その人が「得意」だから「解決」してくれるだろうという単純な思いだけで、人に人を当てがってしまっていることがあります。
紹介した以上は、僕にだって責任があるはず。あとになっていつも反省します。僕はただ、格好をつけたかっただけなんだと。
法律(民法)の世界では、たとえ親切のつもりで行った行為でも責任が問われるという考え方があります。困っている人を見て見ぬ振りをすることも心が痛い、かといって、困っている人を助けるために違う誰かを困らせてしまうというのもまた、問題です。親切だと思う言動や行動にはどんな責任が伴うのかということも、ちゃんと考えていく必要があるのでしょうね。
物事は表裏一体。美しく見えるものの裏側にある誰かの涙にも、ちゃんと、注意を向けていけるようでありたいものです。