AIDMAの法則というものがありまして、なんて書き方はいかにも虚業っぽくて好きではないのだけれど。
広告、文章、文芸、アート。いろいろあって、理屈でわかるものもあればそうでないものもある。説明になってしまってはいけないし、抽象的すぎると誰のアンテナにも触れられなくなってしまう。数秒考えさせてはっとさせるのは広告やコピーの世界だし、風がかすっていくように心を揺らすのは詩歌の世界。対象との距離感を考えながら、表現者はそれぞれに、手持ちの色を変えてみたりぼかしてみたりしてこの世に創作を放つ。受け取る相手への信頼があって投げることのできる表現。
わからない人は「わからない」と言って叩くだろうし、わかる人はわからない人からの攻撃を恐れて声を発しない。すると、映るすべてが「わからない」になったように錯覚してしまう。そうして触れられなくなってしまった感性もきっとたくさんあるんだろうな。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2015, 3月 28
批評は人を育むけれど、批判は人を殺してしまうことがある。
それを避けることは卑怯でもなんでもなくて、多くの人に備わった防衛本能なのだと思う。動かなければ批判されない、ならば、動かないでおこう。そう考えるのは人間として当たり前のこと。惜しむらくは、僕たちはこんな時代の風潮に、たくさんの感性と表現を封じ込めてしまっているということ。悲しい話だけれど、あえて抽象的に書く僕も批判を恐れているということなのだろう。