正論だけど声にしてはならないタイミング、正論だから声にしなければならないタイミング。ほとんどの人はその境目を理解して上手に生きてる。時々、越境してしまう人に対して(黙っておこう)と思うのも(諭してあげよう)と思うのもまた正論で、それに聞く耳を持つことができた人から順に「あっちとこっち」が分かるようになってくる。
かくいう自分も、こんなことを書いてること自体が「論」であって、はて、ちゃんと実践できているのだろうかと思うことがある。鏡の存在たちはいつも静かに優しく、僕にそれを気付かせようとしてくれるけれど、いい加減愛想を尽かされるのではないかと不安を覚えることも。
「頑張っているね」という言葉が続くときほど、ここは井の中なのだと戒める。と、書けば「素直に受け取ればいいんだよ」と先回りしてくれる鏡たちは大きくて、僕はやっぱりまだまだなんだなぁと思い知らされる。