自分の好きな人が関わっていれば0が1になったのを自分のことのように喜べる。自分の嫌いな人の気配があると99の機会損失にケチをつけようとしてしまう。
心が折れそうになったら、自分だって誰かに相談するだろうし、誰か以外の誰かに助けを求めるだろう。なのに、自分は相手の絶対でありたいと頑なで、相手のセカンドオピニオンを許さない。
こんな醜さを認めるのが嫌でフォローを外したり距離を置いたり見たくないものを見えないようにしているのに、飛び込んでくるのは、己の器が対応できるようになったか試されているということなのだろう。
蒼くため息、曇る表情。そうして僕は、自分のまだまだを知る。