理論は絶対で感性は曖昧で。それでも、感性という土壌があって理論への納得や共感があるのだと思うし、色の区別できる程度に水で溶いた絵の具のようなコミュニケーションの仕方を大切にしていきたい。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2014, 6月 15
理論の伴わない感性や感覚は曖昧で、ビジネスの世界では通用しないと言う人がいる。ところが、僕たちの生きる世界は商売人の間合いが求められるところで、教科書を引用したような言葉には嫌悪感を示す人も多い。
理論のほとんどは、理論があって存在するのではなく、先人たちの残してきた感性や感覚の統計学だ。感性で仕事をする人を蔑むことは、理論の土台にある大衆の感覚をも否定することになりかねない。
「あの人が関わっているお店や団体だから、立ち寄りたくない」なんて言われたら、広告に関する仕事をしていて致命的だよな。価値観の多様性を認められず、自分の意見だけが正しいと思い込んで他を攻撃する。そして自分の周囲の人の価値までを下げてしまう。公平、調和、連携とは何か。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2014, 6月 24
自分を売りたい、自分の絶対性を認められたいと他を攻撃する、他を蔑む。そんな姿勢にひとは違和感を覚え、その人との関わりはもちろん、その人の周囲とも距離を置こうとする。
架け橋になるべき存在が、その糸を断つような振る舞いをしてはならないし、自分の中心を抜けて、人が人と繋がっていく感覚を抱き続ける必要がある。自らの選る言葉やコミュニケーションに人間性が表れ、伝えたいものが伝わっていくという想像力がなければ、広告業界のみならず、商売をしていくことは難しいのではないか。
事業をしていくことは楽ではない。けれど、結果という目先を急いで周囲の価値を下落させているようなことがないか。鏡に映る己をしゃんと見直していきたいと思う。