嫌なことがあれば詩に書いて心を静めてきたし、ピアノに感情をぶつけては負のエネルギーを曲に昇華させてきた。
そんな風な僕の礎にあるのは、やっぱりASKAさんやCHAGEさんの詞とメロディで、ふたりとの出逢いがなければ書くことを生業には出来なかっただろう。逮捕という重い事実はふたりの、そして僕の歴史にも黒い影を落としたことは間違いない。ただ、それによってこれまでの楽曲が色褪せることはないし、これからの価値が変わることもない。
逮捕の事実は事実として。
断片的な情報を勝手に線や面にしていく、そして人を決めつける、そんな無責任な風潮が嫌いなんだろうな。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2014, 5月 17
断片を信じて決めつける人、断片の向こう側を信じようとする人。それだって人それぞれだけど、僕は後者でありたいし、同じ気持ちを抱いた言葉たちの存在に温かくもなる。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2014, 5月 17
本人が否認している段階で人格を決めてしまうのだとすれば、僕たちは袴田さんの事件から何も学ばなかったことになってしまう。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2014, 5月 17
しばらく、また、静寂の向こう側に在るふたりのことを想いながら、僕の毎日は彼らの楽曲で満たされていく。20年以上も変わることのなかった習慣は、これまで以上に終わらせない未来に愛されていく。詳細のまだわからない今の段階で、らしく、自分があるために決めたのはそのことだけ。それが信じることの具体的な行動なんだと思ってる。
見果てぬ夢を見てるだけだと人は笑うだろう
それでも
前だけを見据えて