商売とは売ることではなく、選ばれるための心を磨いてそれを継続していくことだと思っている。
商売は、他を蔑んで自己を高めるのではなく、インプットを積んで、アウトプットを重ねて、共感していただいたお客さんの先にいるお客さんが喜ぶことを想像して、コミュニケーションに優しさを込めて、感謝する。その継続なんだなぁと、いつもいつも思う。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2014, 4月 25
自分たちが選ばれるために他を蔑むこと。これは絶対にしてはならない。そして自分たちの価値はお客様に決めていただく。お金をもらったからしてやるという傲りを持つことも良くない。クライアントという言葉を使わないように努めているのは、慢心を防ぐためでもある。
商売を真摯に取り組むのは当たり前のこと。それは差別化にはならない。とはいえ、優位であるポイントを伝えて差別化を図ろうとすると、他を蔑む問題との矛盾で苦しむことになる。だから、インプットの数だけ、アウトプットを継続する。旗を振るというのはそういうことで、継続には人を巻き込んでいく力があるのだと信じている。
想いをチームで共有していくこと、クレーム処理という言葉で片付けないこと
どれだけ想いを抱いたとしても、それがリーダーである自分の単なる理想で、チームを構成するひとりひとりの意識や行動に反映されていなければ口先だけのことになってしまう。現に僕は、誰かからお叱りをいただく毎日を繰り返していて、理想からはずっと遠いところにいる。
落ち始めた粒、アスファルトの匂い。
空気や金属を伝わる熱のように、響くことだけを念じてる。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2014, 4月 28
本当に怒って呆れたお客さんは、黙って背を向けられる。それが一番怖い。お叱りをいただくということは、最後の最後で僕たちに期待と希望の線を繋いでくださっているのだと考えている。
「お客さんが怒っているときはとにかく相手の怒りが落ち着くまで話を聞いて謝罪すること」――これは確かにその通りなのだろうけれど、クレーム処理という言葉はいかにもマニュアル的で嫌いだ。お客さんが本音の気持ちを伝えようとしてくださるとき、僕たちはそれを処理というマニュアル的な対応で片付けてしまって良いのだろうか。それだけの気持ちを向けてくださったこと、時間を割いてくださったこと。お叱りをいただきつつ、何よりも伝えなければならないのは感謝だと思う。
巷のマニュアルに書いてあることのほとんどすべては知識としては正しい。それは知恵の結集であって、多くの人たちの経験に基づいたものだから。ただ、どれだけ優れたマニュアルも、マニュアル通りに対応すれば相手には見透かされてしまう。マニュアルをどれだけ咀嚼して自分のものにできるか。大切なのは自分なりの型を持つことで、ロボットになってしまってはいけないということ。
見えない価値を認めてもらえないことを相手のせいにするのではなく、見えない価値を認めてもらえるように旗を振る。ほんとそうだよね、自分の中に原因を見つけた方が生産的だ。
— 西端康孝 / 川柳家・歌人 (@bata) 2014, 4月 27
結果にはすべて原因がある。そして原因は自分の内にある。そうやって決めてしまえば、すぐ、行動ができる。愚痴を吐いている時間を生産性のあるものにできるかどうか、それが器なのではないか。最近はそんな風にも考えるようになった。
理想的なことを書いて、あたかも意識高く一つ一つのことをきちんと実践しているように伝わるのかもしれない。実際はその逆で、僕たちの行動や意識には大きすぎる穴がいくつもあって、今日はそれを埋めていきたい想いを社内ミーティングで語ってみた。行動しているから言葉にするのではない、行動するためには自分たちを縛る言葉が必要だから書き記す。それだけのこと。
足らない点が多くて、メンバーにも負担をかけている。結果、お客様にもご迷惑をおかけしている。
理想に遠すぎて、語る僕は自分の不甲斐なさに涙が溢れそうになった。そんなことも正直に書いておくのは、やっぱりちゃんと、チームとしてリーダーとして成長していきたいからだ。