ASKAさんが、一連の疑惑に対するコメントを発表してくれた。
反論すること、法的手段に訴えること、あらゆることを考えました。しかしながら、そのひとつひとつが時間の無駄で無意味なことに他なりません。
ここで、闘うことが自分にとってベストな選択なのか? あるいは無視することがベストなのか? 正解はありません。もちろん、スタッフ・弁護士とも何回も話し合い、苦悩を共有してきました。僕にとって大切なことは何だろう? 何度も自問自答しました。
自分は、音楽を創造するためにここにいるのだということに尽きます。自分の存在価値はそこに集約されていると思います。この悔しさは、音楽で取り払ってみせると決心いたしました。
同じようなことがあったとき、僕はその関係者たちを法的に追い込んで訴えてしまおうと思ったことがある。経営者の仲間同士でそれをして、後、残るものは何なのだろうと思いとどまったけれど、自分に対する負の感情に瞬時に攻撃をし返すことは、結局は負の連鎖を生むだけで得策ではない。冷静に沈黙をして、自分が為すべきことだけを考え抜く。滝行だと思えば、その先に研ぎ澄まされたものに出合えることだってある。僕はただ、自分に大きな影響力を与えてくれた信じたい人のことを、これまで通りに信じて、そのアウトプットに触れていく。
病気のこと、疑惑のこと、周囲のからかうような声に胸を痛めたこともあったけれど、そんな軽さに流されることなく僕は僕の芯を外さないで歩いていこうと思った。なんだかまた、強さをもらえたような気持ちになった。
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秋の日は釣瓶落とし ~秋の日の入りは一日に一分以上早くなっていく、三夕の歌 | コトバノ俳句の世界では「月」と書けば秋のそれとなる。空気が澄んで、月も星も近い。そして優しい虫たちの鳴き声。
iPhoneのAppleストア(ジーニアスバー)での修理代金の目安を調べてみた | コトバノiPhone同士のFaceTimeでビデオ機能を使わずに無料通話を実現する方法 | コトバノ
予約していたiPhone5s ゴールドの64GBが入荷したと連絡があった。すでに5を使っている自分にとって目新しさは指紋認証と新しいカメラの性能機能のいくつかだけれど、肌身離さないアイテムが一新されることはやっぱり楽しみだ。
牧師と神父の違い ~プロテスタントとカトリックの区別 | コトバノ書きながらひょうきん族のことを思い出していた。そして自分はドリフ派だったことを思い出し、勢い、ドリフの学校コントをyoutubeで探し当てる。当時、土曜日は大嫌いだったプール教室に通っていたのだけれど「泳ぐのを頑張ったら、8時だよ、見せてくれる?」と母に泣きながら頼んだことを覚えている。ドリフは格別のご褒美だった。
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咳、眩暈、扁桃炎、ずっと体調が悪い。
物忘れが激しかったりひとの話を集中して聞けないのは、言い訳ではなく、姿勢の問題以外の何かであるような気がしている。メンタルは身体に、身体の不調はメンタルにやってくる悪循環をなかなか断ち切れない。「強くなりなよ」と言われて強くなれるのであれば、元々、強いということであって、僕はこの屁理屈のような理屈を持ち出して、いまは素直にひとに周囲に甘えることにしている。恩返しは倍返しで(できるといいなぁ)。
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川柳 20130914 | 短歌と川柳とマカロニと父の誕生日は14日、そして自分の誕生日は16日。あいだの15日は設定上、あさろうたの誕生日ということになっている。体調が悪くて大げさに苦しそうにしてみせるあたりも、父に似てきたなぁと思う。なんだかんだすべて、その方向に向かってる、きっと。
葬儀会場にはずっとトンボがいて、家族の間ではトンボがおばあちゃんの生まれ変わりだということになっている。おじいちゃんの葬儀会場、その中にトンボがいたことも証拠。秋は僕の周囲に、たくさん、おじいちゃんとおばあちゃんが飛んでやってくる。
川柳 20130925 | 短歌と川柳とマカロニと夕暮れはそれだけで詩になる。極楽浄土は西方にあると決めた人の気持ちもわかるような気がする。じりじりと海に落ちていく夕陽を眺めては、カムチャッカの若者はさて、どんな夢を見ているのだろうかと考えたりもする。