阪神淡路大震災の時、僕は大学受験生だった。
瓦礫の街、受験地に向かうため代替バスを待つ僕を、周囲の人は
風邪を引いてはいけないからと、声をかけあって先に乗せてくれた。
京都の宿舎に着くと、ホテルの人がパンを差し入れてくれた。
救援物資を運ぶボランティアの人たちに、父は店にあったカバンやリュックを
全て供出した。こんな時だからと、父は何度も繰り返した。
父は少し照れた顔を浮かべながらテレビ局の取材を受けていた。
父はそして嬉しそうに、当たり前のことだと話をしてくれた。
炊き出しのボランティアに行った。
体育館にいたおばあさんは「こんなことなら、死んだら良かった」と、僕に涙を
流しながら話をした。一緒に泣きながら、僕は全身をマッサージしてあげた。
おばあさんは言ってくれた。「地震のおかげで、あんたに逢えたんやなぁ」
― 東日本大震災、2011年3月11日。
返すときが来たのだと思う。
あの時、子どもだった僕も、今はもう大人になった。
形で示そう、心を添えよう。
お金を贈ること。
経済的な復興を支援するために、被災地のモノを買うこと。
まずはそれから。
まずはそれを続けること。
約束を公言して、自分を縛る。
大人らしい、経営者らしい、出来ることをする。
神戸に関わる人間らしいことを、する。
やる。