いつもblog上でコメントをいただく小僧さんのメッセージに、不肖ながら、
思うままに綴ってみたいと思います。
どうぞ御笑覧くださいませ。
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墓に来てろうそく二本平行に 小僧
今も変わらない距離感であるお二人の愛情が読み取れます。
ただ、「平行」という言葉では、否定的な解釈(=どこまでも交わらない)も
出来ますので、いっそ優しく
寄り添った炎の揺れている墓前 ばた
なんて、言い切ってしまってみては。
2本のろうそく、風に揺れながら、寄り添いながら。
静かに語りを続けている… そんな情景と愛情を織り込んでみましたが、いかが
でしょうか。
「墓に来て」という表現は、「墓前」という表現に改めると、2文字分稼げますし、
「墓に来て(墓前)」であるならば、「ろうそく」と書かずとも、「炎」で何の
ことかわかりますね。
省略できるところは省いて、空いたスペースに「人間」を置いてあげる。
それが、いつも勉強させていただいている「ふあうすと」の句に共通して言える
ことのように思います。受け売りで申し訳ないんですが(汗)
墓に来てろうそく二本君と僕 小僧
僕は、こちらの句が好きだな、と思いました。
小僧さんと奥様が、何年連れ添われたのかは存じ上げません。
でも、何年経ったとしても、自分たちのことを「君と僕」という若々しい言葉で
表現されることに、奥様を今でも大切に想われる気持ちが伝わってくるように
思うのです。
形は失われても、魂の結びつきは不変。
小僧さんのお人柄がうかがい知れる、優しい句ですね。
堪能させていただきました、ありがとうございました。
言葉などなくて 二人は今もまだ ばた